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加藤昌史(かとう まさふみ)
1961年10月25日生まれ。
東京都出身。
早稲田大学教育学部
教育学部教育学科教育学専修。
演劇集団キャラメルボックス 製作総指揮・音楽監督。
株式会社ネビュラプロジェクト 代表取締役社長。
株式会社ネヴァーランド・アーツ 代表取締役社長。
中高一貫教育の私立中学に入学するも
途中で勉強が分からなくなり、成績が下がり始める。
唯一の楽しみは放送部で活動すること。
放送部ではVTRデッキとビデオカメラを使いテレビドラマを制作したり
8mmフイルムで撮影し映画を制作する。
部員と一緒に協力し文化祭で発表した作品が校内で賞を受賞。
そのことがきっかけで、人から認められる喜びを知る。
映画や音楽など様々なジャンルに精通した友達が多かった。
話題についていくためだけに、映画館に通う日々を送る。
一日に5本の映画を鑑賞したこともあるほど。
そして、映画の待ち時間を使っては読書に没頭する。
ロックバンドを結成しバンド活動にも励む。
音楽では衝撃を受けたのはKISS。
ライブを観に行くため
朝の5時からチケット売り場に並ぶほどの大ファン。
しかし、友人が歌うフォークソング(かぐや姫)を聞き、
その日のうちにロックバンドを解散。
フォークグループに入る。
大好きだったのはオフコース。
小田和正さんの詩に魅了される。
家庭の事情で高校3年の時に長崎の高校に転入。
転入当時、東京から来た転校生ということと
髪の毛が肩まであったこともあり、
「きゃぶっとる」(カッコつけている)と言われ
同級生からは引かれていた。
しかし、転入早々行われたテストで化学で0点をとったことが
きっかとなり一躍校内の人気者に!
学年内で話題にはならなかったが世界史は8点をとっていた。
先生に頼まれたこともあり、転校先でも放送部に入部。
入部した放送部の同級生が標準語で発生練習をするのを聞き
コレまで自分が話しているのが標準語だと
思っていたことが間違いだと気づく。
高校3年の夏まで放送部で活動を続ける。
秋の進路指導の時に
「早稲田大学に進学します。」
と面談で言ったところ先生が固まってしまい、
「ひとつだけ入れるところがあるからそこに進学しろ」
と勧められるが断る。
早稲田大学に進学することを心に決めていた。
しかし当時の成績は全国模試で10何万人中
後から数えた方が早いほどの順位。
偏差値はなんと32。
浪人することが決まった時に
一切、自分のあまえを断ち切る。
朝4時に起き、始発電車に乗り
代々木ゼミナールに通う。
そして予備校の門が開くまで単語帳や参考書に目を通し
開門後には自習室で授業の予習に励む。
授業中は一番前の席に座り授業を受け、
授業が終わった後はまた自習室で勉強し帰宅。
1日16時間時間以上、勉強に時間を費やす。
1年後、早稲田大学教育学部に見事!?合格。
入学後、高校の時のから尊敬していた先輩、
鈴木聡さん(劇団ラッパ屋)の「劇団テアトロ50‘」
の舞台を観に行く。
これはかなわないと思い、別のジャンルで魂が奮えるものを探し、
いろいろなサークルに入部。
大学2年のとき、成井豊さんの「キャラメルばらーど」
を観て感動し号泣。
成井豊さんの舞台を100万人に観てもらうと心に決めた
ときの観客数は1000人(充分プロで活動できる)にも満たなかった。
社会人劇団として活動を開始し
年2回の公演を行っていた。
公演ごとに驚異的な観客動員数を記録し、
1988年プロとして「演劇集団キャラメルボックス」の活動を開始する。
劇団結成時から
「公演初日に完成した舞台をお客さんに届けることができなければ
劇団を解散する」ことを公言。
「お客さんのことを『キャクと呼ばない』」
「劇場でパンフレットを落としたお客さんがいたら
新しいパンフレットに直ぐに取り替える」
など当たり前のことを演劇界に広める。
スタッフの方々には恐怖!?の一言
「いいこと思いついたっ!」。
演劇界で初となる上演時間が半分の「ハーフタイムシアター」や
公演当日の10時から開演1時間前まで
特定のチケット売り場で購入すると
通常料金の半分の料金で観劇できる
「ハーフプライスチケット」を導入。
キャラメルボックス サポーターズ クラブでは
入会金2000円以上の特典がつくサービスを行い、
逆に会社に赤字がでるほど。
株式会社ネビュラプロジェクト 代表取締役社長、
株式会社ネヴァーランド・アーツ 代表取締役社長であり、
演劇集団キャラメルボックス 製作総指揮、音楽監督を務める。
これまで4000ステージ以上、開演前に舞台に立ち、
お客さんに観劇マナーを伝える前説を行い続けている。
成井豊さんの舞台を100万人に観てもらうという
目標はすで達成。
観客動員数は260万人を突破。
2016年で劇団結成31周年を迎える。
加藤昌史さんの夢は100年後も
演劇集団キャラメルボックスが存続していること。
加藤昌史さんがこれまでに迎えた困難を笑って
乗り越えてきた折れない心の秘密を知りたい方は
著書『いいこと思いついたっ!』の304ページを
ご覧ください。
著書
『いいこと思いついたっ!』出版社: 日本短波放送
『拍手という花束のために』出版社: ロゼッタストーン
『嫌われ者のすすめ』出版社: ロゼッタストーン
『僕が元気にヤセた理由』出版社: ロゼッタストーン
『人の前に出る仕事の人へ。』出版社: ぴあ
演劇集団キャラメルボックスHP
加藤昌史さん twitter
加藤昌史さんブログ 「加藤の今日」
http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/
加藤昌史さんが偏差値32で早稲田大学受験を決めた理由!
加藤昌史さんとヨウメイ
お食事中の方は次の『演劇集団キャラメルボックス』
との出会いからお読みください。
2016年、ひきこもりならぬ、家に立てこもり中の
ヨウメイは前厄を迎えていた。
あおーきんから、
「大佐、前厄のときは必ずお祓い行った方がいいですよ。
そうでないと大変なことになりますよ。」
と教えられていた。
厄年。
人によっては様々な禍が降りそそぐという。
自分がやっていた仕事をとられた人。
思わぬケガや病気になる人。
そんなことになってはならないと思い、
年が明けるとすぐに川崎大師へ厄払いに行ったのであった。
しかし、藤原喜明組長のところへインタビューで伺ったときのこと
道を間違え遅刻をした教訓が活かせずに、
お祓い時間ギリギリに到着し、申し込みをしたのであった。
その結果、人が多すぎたこともあり、
大本堂に入ることができずに
境内でお祓いを受けたのであった。
このことがいけなかった。
お祓いは行ってもらったのだが、
もしかして厄が祓えていないのではないかと
思い始めるきっかけとなったのである。
それからというもの、お話を伺いたい人に
企画書をお送りするが全く通らない。
そのうち、腕が痛くなる。
カッターで手を切るなど、ろくなことが起こらない。
前厄ってこれだけおっかないのに、
本厄になるとどうなるんだと
悪いことばかり考えていた。
あおーきんに相談すると
「大佐、命があるだけありがたいと思ってください。
前向きに生きていけば大丈夫です。」
と藤原組長と同じ言葉が返ってきたのであった。
そして、ある撮影中のときのこと。
あろう事かお腹が痛くなりだしたのである。
何故だ。
撮影の前は食事もしていないし、昼ご飯も食べない。
それなのにお腹が痛いのである。
これはヤバい。
早くトイレに行かなければ
非常にヤバいことになることは直感で分かった。
慌ててトイレに駆け込むヨウメイ。
しかし間イッパツに合わず。
運がむいてくるどころか別のうんが付いてしまったのであった。
う~ん。
どうやってこのピンチを乗り越えようかと考えていたとき
ポケットで携帯が震えだした。
出なくてはいけない。
直感でそう思った。
この電話だけは絶対に出なくてはならない。
でも、出ることができない。
これですべてがおわったね〜
岡村孝子さんの「Believe」が聞こえた気がした。
今の状況を脱出し、現場に戻らなければ
職場放棄で全てが終わってしまう。
電話に出ることをあきらめ
トイレからの脱出を考えるヨウメイであった。
ふと「いいこと思いついたっ!」のであった。
これなら脱出可能である!!!!
そして絶対絶命のピンチを切り抜けることが
できたのである。(うそ)
その日、撮影が終わり、携帯電話にあった着信を
確認をしたのである。
留守番電話にメッセージが残っていたので聞くと、
「演劇集団キャラメルボックスの加藤昌史のインタビューの件で
連絡しました。
また、こちらからご連絡致しますので…」
やってしまった。
何事においても訪れるチャンスは1回なのである。
一度逃してしまうと次はいつやって来るか分からない。
やはりあのとき出ておけばよかったと後悔する
ヨウメイであった…。
「演劇集団キャラメルボックス」
劇団結成31周年。
観客動員数260万人を突破!!
演劇界で知らない人はいない超がつく人気の劇団である。
ヨウメイが演劇集団キャラメルボックスのファンになったのは
10年ほど前のことである。
女優で脚本家の真柴あずきさん。
当時制作していた番組に先生役でご出演いただいていた。
撮影の当日、ヨウメイが組んだ撮影スケジュールが悪かった。
真柴さんが出演されるシーンを先に撮影したことが原因となり
次のシーンの撮影がとんでもないことになってしまったのであった。
台詞を話している役者さんのシーンがなんと編集でカットを切り換えると、
明るいはずの背景が不思議なことに暗くなっているのである。
あ〜らビックリである。
「お前のスケジュールの組み方が悪いからこんなことが起こるんだ!!!
頼むから死んでくれ」
といわさんに見放された瞬間であった。
このことがきっかけで明るいシーンは暗くなる前に撮影することを
学習したヨウメイであった。
また、若かりし頃の筒井俊作さん(いまでも充分若い)に
ご出演して頂いたときのこと。
制作業務そっちのけで小道具のポスト作りに全力を注いでいた。
そして筒井さんの出演シーンが終わり、
自信を持って制作したポストを撮影する瞬間。
ポストのふたが開かないのである!!
撮影現場で急遽、撤去となったのであった。
小道具を制作する時はちゃんと上の人に
確認することを学んだのであった。
そして極めつけは大森美紀子さんに
ご出演していただいたときのことである。
なんとヨウメイは撮影現場に
行けなかったのであった!!!!
(自慢ではない、本当は這ってでも行きたかった)
撮影の数日前からどうも体調が良くなかった。
それにも関わらず、禁煙であるはずの編集室で
たかっしーと一緒にたばこを吸っていた。
とうぜん部屋はたばこのケムリいっぱいのもくもく村。
打ち合わせの時間がやってきたので、
待ち合わせ場所にヨウメイは出向いたのであった。
その道中、たばこ嫌いで有名なキタさんと
偶然、遭遇したのであった。
普段は全く使っていない頭ではあるが
この時は何故かピンとくるものがあった。
キタさん間違いなく編集室に行くに違いない!!
ということは間違いなく、たばこを吸っている
たかっしーとご対面である。
これは連絡を入れなければならない。
すぐにたかっしーに連絡を入れたのであった。
「やばいです、キタさんそっちに向かってます。
直ぐに脱出した方がいいです」
「わかった」
これまでのミスを払拭するファインプレーである。
(こんなことでコレまでのミスは決して消えない)
しかし、キタさんの到着する時間は
わずか10分ほどである。
たばこを吸わない方ならもうお分かりであろう。
部屋にこもった煙のにおいは10分程度で
消えるものではない。
そのあと、キタさんが訪れた編集室がどうなったかは
恐ろしくて未だに想像できないのである。
そんなミラクルセーブを出したにも関わらず、
ヨウメイの体調は悪化した。
咳が止まらなくなってしまったのであった。
そして撮影前日、大森さんや他の出演者の方々に
風邪がうつるといけないからということで
家で休めということになり現場に行くメンバーから
外されてしまったのであった。
確かに、無駄に会社にずっといたので悪い咳はしていたが、
決して熱ではないと主張したがそっちの方が
もっと悪いと出社も禁止になってしまったのである。
体調の管理には気をつけようと学んだ
ヨウメイであった。
ということもあり大森美紀子さんには
お会いすることさえできなかったので
お名前が強烈に印象に残ったのであった。
失礼なことになるのだが、このとき、
真柴あずきさん、大森美紀子さん、筒井俊作さんが
演劇集団キャラメルボックスの劇団員であると知ったのは
ずっと後になってからである。
そして事件は会議室で起こるのではなく、
撮影現場で起こったのであった。
またしてもヨウメイの段取りが悪く、順調に進んでいた
撮影の歯車が途中で狂ったのである。
出演者の方の演技がうまく撮影できなかったことと
それに合わせてヨウメイが準備を間違えたことが
口火を切ったのであった。
いままで穏やかだったキタさんの口調が
徐々にキツくなり始めたのであった。
最初はよかったのだが、空気がピリピリし始め
出演者、カメラマンまでが萎縮しはじめた。
これはまずい!!!
出演者も嫌がっているに違いない!!!
(全てはヨウメイが悪いのである)
現場は楽しくがモットーである。
そして、撮影していたシーンが終わり
別のシーンの撮影になったときである。
そのための準備時間が必要になった。
状況は見ていれば分かるはずなのに
キタさんから
「早くしろ」
長いものには巻かれろが心情のヨウメイ。
いつもは常に人の顔色をうかがいしっぽをふっているのだが
このときだけは
ない牙で噛み付いたのであった。
「そんな言い方しなくていいんじゃないですか!!」
「お前の段取りが悪いからこうなってんだろ」
怒鳴り合いが現場で始まった瞬間であった!!!!
突然、どあほなヨウメイがキタさんに
逆らったので固まる出演者の方々!!!!
罵声が飛び交う中、
時間をくれてありがとうとばかりに
そしらぬ顔で準備をすすめるカメラマンと照明さん、
そして音声さん。
「撮影時間がのびている責任お前がとれるのか?」
と胸をつつかれピンチにおちいったとき
カメラマンがOKと目でサインを送ってくれているのを見て
ヨウメイは次の撮影準備ができているのを確認した。
「次の撮影準備できました!!」
今にもぶっ飛ばされそうであったが
現状を把握したキタさんは
「分かった。では、次のシーンはですね」
と出演者の方々に説明を始めた。
キタさん気持ちの切り替えが早い。
ヨウメイとはその日、一言も会話をかわすことは
なかったが撮影は無事!?終わったのであった。
そしてキタさんとの関係も終わったかにみえた。
しかし翌日、会社に行くと、
昨日あれだけ現場でもめたにも関わらず、
「おはよう」
と声をかけてくれ会話のきっかけを作り出してくれたのであった。
なかなかできることではない。
本来ならヨウメイから
「昨日のことはすみません」
と謝らなければならないはずである。
しかし、あの現場でとった行動は悪いとは
思っていなかったので謝る気もなかった。
当時のヨウメイには
キタさんのようにすぐに気持ちを切り替えることは
決してできないことなのであった。
そんなもめにもめたキタさんが
こともあろうか仕事の休みをとってまで
演劇を観に行ったという情報を
ヨウメイはキャッチしたのであった。
それも大森美紀子さんからお誘いを受けて!!!
うらやましい。
大森さんがご出演されている舞台である。
その観に行った舞台が
演劇集団キャラメルボックスの公演であったことを知ったのである。
なぜ、ヨウメイに声がかからない。
当たり前である。
「お前、演劇に興味ないだろ」
撮影現場でもめるような輩にチケットを回してくれるような、
いわさんではないのである。
しかし、そんないわさんが
演劇を観に連れて行ってくれたのであった。
「出演者が初舞台に出るので一緒にいくか?」
ということで
「お花を買ってこい」
とヨウメイにミッションを与えてくれたのであった。
そうか、演劇を観に行く時はお花を贈るんだということを
このとき学んだのであった。
そして仕事を始めてから観た初めての舞台。
驚かされた。
なんと、主役の方よりも、脇役で出演されていた
名前も知らなかった女優さんの声に
魅了されたのであった。
演技もさることながらその方の声がマイクを付けていないのに
通ること。
言い方が悪いかもしれないが、
主役の方を完全にくってしまい、
どちらが主役か観劇の途中で分らなくなるほどで
あったのである。
思い起こせば小学生の頃、演劇をやるというので
ヨウメイから進んで出演し、
与えられた台詞を棒読みでしゃべった記憶がある。
しかし、しゃべったつもりではあったが、
鼻から息がもれていたみたいで、
声がおかしかったみたいである。
上演後、皆にマネをされてからというもの、
ヨウメイの声って人が聞き取れない程悪いんだと
思い自分の声を聞くのも嫌なほど大嫌いになったのであった。
そして、お芝居も嫌いになったのであった。
しかし、プロの役者さんが作る舞台を観て
演劇って面白いんだということを知ったのであった。
このことがきっかけになり、
それならキタさんが観に行った
演劇集団キャラメルボックスの舞台を
観に行こうと決めたのであった。
そして、サンシャイン劇場で行われている公演を
仕事の合間をぬってというかサボって
観に行ったのである。
『きみがいた時間 ぼくのいく時間』
手に入れたチケットは当日券。
6300円、松席であった。
(チケットの半券は今も持っている)
なんと案内された席は
出演者の顔が見えるほど近くの席であった。
当日券で、こんなにいいところに
座らせてもらえるなんて、何て運がいいんだと
当日券に味を占めたのであった。
そして幕が開く前に舞台上で誰かがしゃべっている。
その上、スピーチの内容がとても面白いことを言っている。
この時のヨウメイはまさか加藤昌史さんが
前説でしゃべっているとは知る由もない。
加藤さん本当にスミマセン。
そして、幕が上がると上川隆也さんが登場された。
演技がうまい!!!!
一瞬で上川さんの演技に魅了されたのであった。
すると、あれ、ショップの店員役で観た方が
「どげんですかい」
とステージ上で言っている。
筒井俊作さんであった。
この時まで筒井さんが演劇集団キャラメルボックスの役者さんであるとは
全く存じあげておりませんでした。
申し訳ありません。
大森美紀子さんもいらっしゃる!?
西川浩幸さん!?
皆さん演技がうまいのは当たり前なのだが、
このとき一番衝撃を受けたのはダンスである。
音楽に合わせて全員の振り付けがそろっている。
カッコいい。
音痴で、リズムが取れない。
その上どんくさい。
ヨウメイはステージで繰り広げられたダンスを観て
なぜか分からないが元気が出たのであった。
そして、クライマックス。
上川隆也さんの演技を観て泣いてしまったのである。
ロマンチックではなく
涙がとまらなくなってしまったのであった。
なんて面白くて人を感動させる劇団があるんだ!!!!
これはきっとこれまでの作品も面白いに違いない。
直ぐにDVDを買いに行ったのである。
むむ、以外と高いぞ。
買うべきが、買わざるベキか?
決断に迫られるが、上川さんが出演されているし
とりあえず買っちゃえーということで
購入した作品が「さようならノーチラス号」である。
そして新たな出会いが訪れたのであった。
近江谷太郎さん。
上川さんとのやりとりがおもしろすぎて、
何処までが成井豊さんの演出でどこからがアドリブなのか
わからない。
それからというものDVDを購入するたびに
演劇集団キャラメルボックスで知らなかった
役者さんに出会うことができたのであった。
そして、DVDのエンドクレジットには必ず
製作総指揮 加藤昌史と表記されているのを
目にしていたのであった。
(DVDでは2%ほどしか演劇の面白さが伝わらないから劇場で!
とあるがDVDでも泣いちゃいます。
特に『きみがいた時間 ぼくがいく時間』)
それからというもの、ハーフプライスチケットという
当日券が半額で買えると知りますます味をしめ
劇場に足を運ぶようになって行ったのである。
本当にすみません。前売り券購入せずに。
1人分のチケット料金で
2人一緒に観れてしまうのでずっとそうしてました。
そして、ヨウメイにとって別の意味で衝撃が走ったのであった。
演劇集団キャラメルボックスが解散!?
東日本大震災の後である。
え、なんで!?
お客さんいっぱい入っているし、どうして!?
解散する必要があるのか全く分からなかったのである。
つまり、この時は加藤さんの書籍を
全く読んでいなかったので
どうして解散しなければならないのか分からなかった。
そして解散危機を乗り越えて
劇団存続が決まった時は胸を撫で下ろしたのであった。
しかし、上川さんと近江谷さんが共演した
「サンタクロースが歌ってくれた」は仕事に忙殺され
劇場で観ることができなかった。
一番劇場で観たかった舞台が観れなかったのである。
(DVDが発売されると同時に購入し、
おもしろすぎて大爆笑してしまいました)
この仕事がきっかけとなり
ヨウメイは貯金が尽きるまで
家にたてこもるのである。
第一次立てこもり期である。
その時期に誰かから聞いたことがあった。
「演劇集団キャラメルボックスの加藤昌史さんは
演劇界のためにいろいろな手法を公開してるよ。
いろいろ劇団の為になること教えてくれてるよ。」
といううわさ話を聞き、
記憶力が悪いヨウメイのアタマに
加藤昌史さんてスゴイ方なんだと
インプットされた瞬間である。
それからも心が折れたとき、必ずといっていい程
ハーフプライスチケットを手にいれて
舞台を観に行っていた。
ハーフタイムシアターだとわずか2000円ほどで
幸せな気分になれてしまう上に、
立てこもりにはとってもリーズナボーなのである。
そして心が折れている時に
演劇集団キャラメルボックスのダンスを観ると
なぜか分からないが元気が出るからである。
そんな偉そうなことは言っていますが
ひとつ謝らなければならないことが。
第三舞台が復活した瞬間、
劇場にいって観劇し魅力にハマってしまいました!!
そして時は流れて第3次立てこもり期。
次にお話を聞く人を探していた時に
加藤昌史さんにご出演のオファーを出すかどうかを
半年以上も悩んでいたのである。
立場が「月とキャベツ」ほど離れている。
製作総指揮と立てこもりである。
これは出演のオファーを出しても
絶対に断られるに違いない。
でも、依頼を出さずにあきらめるか、
依頼を出して断られてあきらめるかである。
答えはひとつである。
依頼を出してダメだったらあきらめるのである。
そう決まれば、本を読んで加藤昌史さんのことを
知らなければならない。
まずは「拍手という花束のために」を取り寄せた。
ページを開いてビックリである。
読者への質問から文章が始まる。
あらすじから笑いの要素が満載である。
加藤昌史さんきっとお話も面白いに違いない
とヨウメイは思った。
そして、書かれていることに関して
嘘がないのであった。
これまで演劇集団キャラメルボックスが
歩んできたことが全て公開されていたのであった。
そして次に取り寄せたのが、
「いいこと思いついたっ!」である。
こちらには、加藤さんの人生の半分以上が
つづられていた。
本の最初から読まず、後半から読み始めたのが
後でヨウメイを追い込むのであった。
最初から読んでいれば加藤昌史さんの思いが
分かったのだが、キモとなるところを
一番最後に読むことになったのである。
結果的にはそれがよかったのだが。
それに気づいたのはインタビューの数日前である。
「いいこと思いついたっ!」は読みかけではあったが
ご出演依頼を加藤昌史さんに送ることにした。
なぜなら後半だけ読んでも、
加藤さんが早稲田大学に受かるまでの過程が面白すぎる。
とてもオモシロイお話が聞けるに違いない。
そう思い込んでのことである。
しかし、お返事は返って来ない。
当たり前である。
演劇集団キャラメルボックスの
公演期間中だったのである。
公演期間中はスタッフ全員で
劇場でお客さんを迎えられているのは
本を拝見し知っていた。
そのためにお返事が返って来ないのだと
ひたすら思い続けた。
今年は前厄ということもあり
ヨウメイの運が悪いのであれば、運を向ければいいだけである
その為に向かうところはひとつである。
シェルパ齋藤さんのところであった。
第2次立てこもり期にお伺いしてからというもの
伺うとなぜか分からないが運が向いて来るのである。
勝手にヨウメイが思っているだけではあるのだが。
今回もシェルパ齋藤さんのところを訪れた直後に
何と電話がかかって来たのであった。
(電話に出ることはできなかったが)
運がいい、悪いは
ただの思い込みかもしれないのである。
信じればそうなるだけなのかもしれない。
後日、電話をかけ直すとなんと、
「加藤昌史のインタビューお受けします」
とお返事が頂けたのであった。
しかし、このときはまだ、
「いいこと思いついたっ!」
は全て読み切れていない。
つまり、インタビューの構成が全く
作れていないのであった。
これはヤバい。
加藤昌史さんの折れない心を支えている
ものが何なのかがつかめていないのである。
そして加藤さんのことを
更に知る為「人前に出る仕事の人へ。」と
「キャラメルボックス展覧会」も平行して
読み進めたのであった。
そし結果、加藤昌史さんの人物が
分からなくなってしまったのであった。
人前に出る時は身だしなみが大事と
おっしゃているわりには
スタッフの面接の時にはジーパンとシャツという
ラフな格好で面接されている。
はたまた、人は見た目が大事で、会った瞬間に、
合う人、合わない人が分かりますという
一文を読んでヨウメイの心は
折れそうになったのであった。
確かにそうである。
インタビューに伺っても
お話してくださるかどうかを考えてしまい
不安のどん底に突き落とされたのであった。
読み進めるたびにザクザク加藤さんの
言葉がつきささり、
アタマの中がパニックになるヨウメイであった。
しかし、「逃げちゃダメだ」「逃げちゃダメだ」と
碇シンジくんの言葉を思い返し、
「いいこと思いついたっ!」を読み進めていくと
コレまで分からなかったことが
段々と分かり始めてきた。
劇団の事務所に泥棒が入り現金が盗まれても
前向きに考えられる加藤さん。
いいこと思いついたっ!とアイデアを出し、
新聞折り込み広告の機械をヒントに
演劇の折り込みチラシの代行を行う
ネビュラプロジェクトの立ち上げ。
ご自身の失敗の数々。
そして、加藤昌史さんがどんなことがあっても
逃げずに立ち向かわれている理由を最後の最後で
ヨウメイは見つけたのであった。
読み終えたとき、これ以上の答えはないなと
思ってしまった。
これまでずっとお伺いしたかったことが
本に全て書かれていたのであった。
そして、インタビュー場所となった
演劇集団キャラメルボックスの事務所の会議室。
「♪チャチャッチャー〜
この動き 知ってます?
第三舞台の『朝日のような夕日をつれて』の
振り付けなんですよ」
笑顔の加藤昌史さんが出迎えて下さったのであった。
加藤昌史さん_偏差値32から早稲田大学に合格するまで 60分
加藤昌史さん_早稲田大学に合格して思っていたこと 21分
加藤昌史さん_演劇集団キャラメルボックスを結成するまで 69分
加藤昌史さん_演劇集団キャラメルボックスを結成してから 38分