1961年3月25日生まれ
長野県出身
バックパッカー、紀行作家、
いろんな手段で地球を旅する自由型の旅人。
現在は山梨県の八ヶ岳山麓で田舎暮らしを楽しみつつ、
国内外の旅に明け暮れる。
カフェTeam Sherpaのオーナー。
素敵な自作のログハウスに在住。
野営道具を背負って地球を歩いて旅するバックパッカーで
耕うん機の旅や犬と一緒にヒッチハイクの旅など
他に人がやらない旅を行っている。
小学館のアウトドア雑誌「ビーパル」で好評連載中の人気作家。
著書
『シェルパ斉藤の行きあたりばっ旅』
『耕うん機オンザロード』
『犬連れバックパッカー:シェルパ斉藤と愛犬ニホの旅物語』など著書多数
ホームページ http://www.eps4.comlink.ne.jp/~sherpa/
シェルパ斉藤さんが紀行作家になった理由!
「大佐、次インタビューするならくられ先生かシェルパ斉藤さんがいいっすよ」
あおーきんがヨウメイに教えてくれた。
「シェルパ斉藤さん!?」
「僕の少年時代の頃からのヒーローです。
バックパッカーで耕うん機で日本縦断している人です。」
あおーきんまた何を言っているんだと思った。
しかし、あおーきんの人を見るセンスに長けていることは知っている ヨウメイである。
すぐにインターネットでシェルパ斉藤さんのことを調べるとホームページが見つかった。
山梨県在住。
ここで一つヨウメイにはひっかかった。
どうやって山梨まで行って帰って来ようか。
ホームページにあがっている記事や写真をみると素敵な人々に囲まれ、
その合間に旅をされている。
世間から逃げ、家に立て籠っていたいたヨウメイとは別の人であることがすぐに分かった。
それに書籍もたくさん書かれている紀行作家であった。
こんな人が全く見ず知らずのおっさんを相手にしてくれるはずはない。
すぐにヨウメイの心の扉、ATフィールドはすぐに閉ざされてしまったのである。
あおーきんのいいつけ通りヨウメイはくられ先生をとったのであった。
それから数ヶ月後。
幸運なことにどあほなヨウメイにとんでもないお話が舞い込んで来たのであった。
それは子ども番組の編集であった。
いままでやったことがない番組である。
全く一人ではこなせる自信はなかった。
だから正直断わろうかなと思った。
しかし、そこで昔読んだ本田宗一郎さんの言葉が思い出された。
「自分でできないことは人にやってもらえばいい」
そうだ、自分にできないことは人に頼めばいいのである。
編集のミッションをヨウメイにわざわざ与えようとしてくれた、
いわプロデューサーに相談することにした。
ちょこっと話がそれるがいわさんのことに触れることにする。
ヨウメイが制作会社でいろいろ問題を起こした時、
すべて面倒をみてくれ何があっても最後まで付き合ってくれる心強いプロデュサーである。
ちょっとおねーちゃんには弱いのだが。
そのおかげでヨウメイは制作という仕事を続けて来れたのである。
しかし、あるミッションを遂行しきったと思ったヨウメイは、
もう、制作の仕事をやりませんとほざき、いわさんのもとから バッくれたのである。
当然 激怒するいわさん。
当たり前のことである。
しかし、時が経ち、ことあるごとにヨウメイにお仕事をふってくれるニートには神様のような人である。
そしてヨウメイがずっこけても最後までつきあってくれ面倒を見てくれる。
だから、思い切って相談してみた。
「編集はできると思うんですが、ナレーションと構成がおこちゃまで助けてもらわないとこれ無理です。」
考え込むいわプロデューサー。
しかし、すぐに
「わかった、ナレーションは一緒にやろう」
と言ってくれたので安心し、このミッションを受けることにした。
この時のヨウメイは終わった後にズタボロになるとは思ってもいなかったのである。
編集だけで、後は特に何もしなくてもいいと思っていたら
担当する編集回は演出もしろということになってしまった。
これはとんでもなくまずいことになってしまった。
撮影、制作の仕事に携わり、取材に行っての撮影は好きだった。
ただ、撮影スタジオでサブと言われるVTRの収録や複数あるカメラから
映像を選んで切り替えるのはこれまでやったことがなかったのと
いろいろな方々からのプレッシャーが凄まじく決してあそこにはいくまいと
思っていた場所に行くことになるとは思っても見なかったのである。
映像を切り替えるスイッチングは面白いのだがそれは好き勝手に自分の好きな映像を
切り替えられるのであればいいが
決まったタイミングで押さなければ ならないのはとても難しい。
しかも、音楽に合わせて切り替えなければならない。
ヨウメイは音楽に関してのセンスはゼロである。
音痴な上、音符も読めず、音感がずれている。
収録回になると巨匠の演出家うのらーにスイッチングのタイミングに関して
マジ切れされ、縮こまりながらボタンを押していた。
でも、やったことがないことをやってみるというのはとても面白い。
失敗はしたのだがやってみてよかったと思う。
しかし、それにはうのらーやいわプロデューサーのように助けてくれる人が
いたからこそできたことであるとヨウメイは思っている。
そんな状況で1、2本編集していたとき、あおーきんが
「大佐、どこかいきましょうよ」
と誘って来たのであった。
そのときなぜか分からないがシェルパ斉藤さんのことが頭に浮かんだ。
ちょっとシェルパ斉藤さんの本を読んでみよう。
すぐに書店に走り「シェルパ斉藤の行き当たりばっ旅」シリーズを始め数冊を購入し読んだ。
耕うん機で日本縦断!!!
裸の外国人の女性と川で泳ぐ?
犬と一緒に旅する!!!
さすがあおーきん。あなたはすばらしい。
この本にあなたは中学生で出会っていたとは!!!
アウトドア雑誌「ビーパル」での連載をかかさず読んでいたのである。
間違いなくどあほなヨウメイが中学、高校のころにシェルパ斉藤さんの本に出会っていたら
きっとまねして同じことをしていたに違いない。
やるにはやったがそれはまた別の機会に。
これは是非とも斉藤さんにお話を聞いてみたいと思い勝手に企画書を送ることにした。
するとシェルパ斉藤さんの奥さんの京子さんからメールが返って来てなんと1時間だけなら
お時間いただけるとのこと。
ありえないことがおこるものである。
先に断っておくのだが
『
とおっしゃているので京子さんと記載させていただきます。
すぐに斉藤さんのところに取材の日程を調整するためあつかましくも電話をした。
「シェルパ斉藤さんの取材の日程ですが…」
「ちょうど週末バーベーキューをしてますので、そのタイミングでよければ
来ていただけると斉藤も時間をとれると思いますので…」
「それだと、泊まるところが…」
「部屋は予約でいっぱいで無理かもしれませんが、
車の中か、
竪穴式住居がありますのでそちらでよければ!!
お風呂は五右衛門風呂がありますし」
「竪穴式住居!!!! 五右衛門風呂?」
竪穴式住居で寝たことはない。
これは是非とも行かなければ。
あおーきんにそのことを伝えると
「是非、いきましょう。大佐、他にも人つれていきましょう」
これは至難の業である。
「こんど山梨の温泉行きますけど、寝るところは竪穴式住居です。」
ふだん、みてくれと、素行の悪いヨウメイがいってもうさん臭く 信用されないのはあきらかである。
どうすればいいか考えた。
結果、行き先だけを伝えあとは何も言わない。
そして、飲んでしまえば車は運転できないのである。
あとは帰りたいのならタクシーで帰ってくれればいい。
あおーきんと結託し、うのらーとしんくんに
「温泉に行くけど、いかない」
と誘ったらノロウイルスにかかり病み上がりのうのらーと
精神的に病んでいた真くんはひっかかってきた。
京子さんに連絡をし、泊まりたいことを伝えたら
丁度伺う日に取材があるのでそれ終わりで来てくださいとのことだった。
ご連絡を頂いたとき、ヨウメイは編集で煮詰まり追い込まれていた。
お偉い方々にチェックしてもらいokはもらっていた。
しかし、演出の巨匠うのらーのokが出ない。
偉い方々はいいと言っているのにどうしても巨匠うのらーのOKがとれないのである。
そしてついに一緒に編集することになった。
闘うこと3日と5時間。
そしてついに編集はあがった。
うれしいには嬉しかったがヨウメイは凹んでいた。
なぜなら、大きく編集は変わっていない。
音楽の使い方でヨウメイの思いもしない編集をうのらーはやってのけたのである。
伝わらないかもしれないがあの編集と音楽の使い方は
音楽センスのないヨウメイには 思いつくはずもないのである。
最後の最後でぶちのめされ凹んだ状態でシェルパ斉藤さんのもとへと向かうのであった。
あおーきんが用意してくれた車で眞くんとうのらーを迎えにいく。
なにかが起こるとは思っている二人だがまさか竪穴式住居に泊まれるとは思ってもいないはずである。
新宿から中央道に乗り山梨へ。
しかし、運が悪く、大渋滞。
予定より3時間遅れて山梨についた。
まだ、うのらーと眞くんには泊まるところは伝えていない。
普段できないことをしようということもあり、川で泳ぐことにした。
八ヶ岳の近くにある川で、いいおっさん4人、服を脱ぎ捨て川に飛び込んだ。
編集が終わり会社に泊まっていたので着替えはもちろんない。
夏だし、はいているジーパンもシェルパ斉藤さんのところに伺うまでに 乾くに違いない。
さすがにシェルパ斉藤さんのように全てをさらけ出し裸になって飛び込むわけにはいかなかった。
周りには大勢の子ども達がいたからである。
そこはさすがに大人になったなーと自分でも思うヨウメイである。
川で泳いだあと病人2人と凹んでいるヨウメイの疲れをとるために温泉に向かった。
「山梨さいこー」 ぬるいお湯のなかで病人2人がさけんでいた。
京子さんとの待ち合わせ時間が迫っていた。
ちょっと遅れるかもしれない。
これは連絡しなければ。
「ちょっと病んでまして、温泉で…」
「気をつけて早く来なさい」 明るい京子さんの声が電話越しに聞こえて来た。
風呂上がりのうのらーと眞くん。ビールをひっかけている。
今日はどこかの宿に泊まってうまいものが食えるのかという感じである。
真実を伝えるときが来た瞬間がきた。
「今日は竪穴式住居に泊まります。」
「……」
「……」
無言のままあおーきんが車を運転している。
そして、道を間違えた。
日も暮れかけた頃、チームシェルパのあるログハウスに到着した。
何も言わない2人。
もう、帰れないのである。
あとはタクシーで帰るのか? 2人はほっておくことにした。
シェルパさんのログハウスに到着するとそこには大勢のお客さんがいた。
「始めまして ヨウメイと申します。今日宜しくお願いします。」
「遅いですよ、早くこっちに来て撮影に参加してください」
あおーきんが道を間違え予定より30分以上遅れたにも関わらず、
京子さんがあたたかく出迎えてくれた。
手作りのテラスとログハウス。
会場には20人以上の人がいた。
シェルパ斉藤さん、雑誌の取材におわれバーベキューの準備をしたり
お酒の準備をして忙しそうである。
ここで話しかけても無理に違いない、ちょっとだけ空気が読めたヨウメイである。
「バーベキューですけどあとで自己申告で料金いただきますので好きにやってください」
シェルパ斉藤さんが声をかけてくれた。
「食べる前に、ちょっと撮影に参加してください。雑誌の写真を撮るので」
収録にきて逆に写真撮影され雑誌に出てしまう?
ふと横をみるとあおーきんはバーベキュー番長になっている。
うのらーと眞君どうするのかと思ったらまんざらでもなく撮影場所の方に向かっている。
さっきまでの無言はなんだったのだ!!!
そして雑誌「八ヶ岳デイズ」の撮影に参加し写真を撮られてしまった。
撮影後、京子さんが
「ビール足りないんじゃないですか?こっちにビンのがありますので
遠慮せずのんでください」
冷蔵庫にあったビールビンを差し出してくれた。
地ビールは大好きだったし飲んだこともない銘柄だったので遠慮せずに栓を抜いてのんでいると…
「それ、もらったヤツで 今度飲もうと思っていたのに…」
シェルパ斉藤さんが恨めしそうにみている。
「まあ、あけちゃったんだから仕方ないじゃない。また今度もらった時に飲めば?」
笑いながら京子さんが言った。
するとシェルパ斉藤さんも笑顔になり
「それ、滅多に飲めないからしっかり味わって飲んでください。
飲めたのがラッキーなぐらいの ビールなんで」
と笑って言ってくれた。
そして、
「そろそろインタビュー始めましょうか?
今日、竪穴式住居に泊まるんでしょ。じゃ、そこで。
ちょっと火をおこして準備するからちょっと待っててください。」
始めて入る竪穴式住居の中でシェルパ斉藤さんのインタビューが始まった。
スマートフォン用 38分
i-phone用 38分